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第十三話:新渡戸稲造の『武士道』(その1)【会長 草原克豪】

第十三話:新渡戸稲造の『武士道』(その1)【会長 草原克豪】

第十三話:新渡戸稲造の『武士道』(その1)【会長 草原克豪】

武道は「武士道の伝統に由来する運動文化」とされています。今日、武士道を論じる際に必ず登場するのが新渡戸稲造の名著『武士道』です。ただし、宮本武蔵の『五輪書』などとは違って、武術の技法については何も教えてくれません。もともと西洋の知識人向けに英語で書かれた日本の思想文化論なのです。
では『武士道』にはどんなことが書かれているのか。新渡戸はまず本の題名でもある「BUSHIDO」という言葉の意味を説明しています。武士道とは「武士の掟」であり、「武人階級の身分に伴う義務」、つまり「ノブレス・オブリージュ」だというのです。明快ですね。この一言で欧米の知識人は、日本の武士は西洋の貴族のような高貴な存在であることを理解することができます。
そのうえで著者は、武士に求められる義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義などの徳目を取り上げて、それらの意味を具体的な事例を挙げながら、欧米人向けに分かりやすく解説しています。
これらの徳目は、いずれも私たちの日常生活においてもよく使われている馴染み深いものばかりですが、以下にその要点だけを簡単にまとめてみます。
義とは、人の道に適っていること、正しいことを意味しています。武士の掟の中で最も厳格な徳目です。孟子が「仁は人の心なり、義は人の路なり」と言ったように、人が果たすべき正しい大義、正義のことで、義に反するのは卑劣な行動とされるのです。武士にとって卑劣な行為ほど嫌われるものはありませんでした。
勇とは、心が強く、勇ましいことです。「義を見てせざるは勇なきなり」(『論語』)と言われるように、義を果たすために正しいことを行うことが勇なのです。勇気は義のために行われるのでなければ、徳としての価値はありません。「生くべき時に生き、死すべき時に死す」のが勇であり、生命を懸ける価値のないような死に方をするのは犬死といって馬鹿にされました。道場訓でも「匹夫の勇」を戒めています。
仁とは、思いやりです。孔子も孟子も人を治める者の最高の必要条件は仁であると繰り返し述べています。武士道が仁を最高の徳と考えるのも、それが他のすべての徳のもとであるだけでなく、およそ人の上に立つ者にとって第一に必要なものだからです。
正義が男性的であるのに対し、仁は女性的な優しさと説得性をもっています。大事なのは正義を忘れない慈愛です。それが「武士の情け」として人々の共感を呼ぶのです。特に弱者、劣者、敗者に対する仁は、武士に相応しい徳として称賛されました。
礼は、他人を思いやる心が外に表れたものです。それは正当なものに対する正当な尊敬を意味しているのです。礼法は厳格になりすぎることもありますが、正しい礼法を行えば、「身体のあらゆる器官と機能に完全な秩序をもたらし、肉体と環境とを調和させることによって精神の支配をおこなうことができる」ようになって、無駄な力を使わないですむのです。したがって、礼は一定の結果を達成するために最も適切な方式であり、たとえば茶の湯に代表されるように最も無駄のない、最も優美な作法なのです。
誠とは、嘘や偽りがないことです。それは内面的な徳であり、それなくしては礼も茶番あるいは芝居にすぎなくなります。誠なくしては義も発揮できません。嘘をついたりごまかしたりするのは卑怯なこととみなされました。武士の一言は真実の保証であり、武士に二言はないのです。だから武士は誓いも立てません。その点では、「誓うなかれ」という教えがあるにもかかわらず、それを絶えず破っているキリスト教徒とは大きく違う、と新渡戸は述べています。

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