物語
昭和七年、戦時下の日本で軍部の力が日々強まっていた頃、幕府からの恩恵を受け、伝統空手を未来に伝える者たちがいた。
その名も、義龍(八木明人)、大観(中達也)、長英(鈴木ゆうじ)。彼らは、師・柴原英賢(夏木陽介)の教えの元、山奥にひっそりと佇む道場で日々の鍛錬にひたすら励んでいた。
そんなある日、谷原分隊長(白竜)率いる第七憲兵隊板戸分隊が、英賢の道場を国の管轄下に
置くためにやってくる。英賢は、御上との証書を見せ申し入れを断るが、軍隊側は一切聞く耳を持たない。そして、谷原分隊長が長英の腕を切りつけた瞬間、怒りにかられた大観は憲兵隊員を一撃で倒してしまう。
そんな大観に、「空手に先手なし。こちらから相手を突いてはならん、蹴ってはならん」と教えを説く英賢。しかし師の教えに反し、大観は突きや蹴りを駆使し、次々と憲兵たちを倒していく。そしてついに谷原分隊長にその手は伸びるが、英賢は大観ではなく義龍に勝負をするよう命じる。谷原が何度切りかかろうと、義龍は太刀を払うのみで攻めてはこない。最後まで「空手に先手なし」を貫く義龍に対し、度重なる払いを受け力尽きた谷原は、「何故とどめを刺さない。俺に生き恥をかかせるつもりか」と言い残し、撤退を決意する。
軍隊との一件の後、英賢が突然の病に倒れてしまう。病床に伏した英賢に、「何のために技を磨くのか?強くなるためには勝負が必要」と問う大観。しかし英賢は、武道の精神を「己の技を全力で向けるべき相手は己のみ。それは、生涯に一度あるかないかの至福の時」と説き、古くから伝わる伝承の証=黒帯を見せ、「この黒帯はわが空手を継ぐべき者が手にするもの・・・時がくればわかる」と言い残し、3人が見守るなか、静かに息を引き取るのだった。
再び、憲兵隊が道場に現れる。今回の目的は、道場の明け渡しのみならず、空手を軍隊の訓練に取り入れ彼らを管理下に置こうというものだった。3人は不本意ながらも軍と行動をともにすることを選ぶが、道中、谷原の子どもたちが現れ、義龍に突如襲いかかる。闘わずして大敗を期した谷原が、不名誉を恥じ自害したというのだ。事実を知った義龍は、一切の抵抗も見せず、刃で腹を突かれ谷底へと落ちていく・・・。
数日後――
一命を取り留めた義龍は、畑田家の人々に助けられ、娘の花(近野成美)の献身的な看護によって徐々に元の体力を回復していく。そして平穏な日々のなか、義龍は改めて自分には空手しかないことを悟り、再び鍛錬に励むのだった。
そんなある日、見知らぬ男たちが畑田家にやってくる。父親の借金の肩代わりに、花が奉公に出されることになったのだ。師の教えを頑なに守るが故、自ら攻撃ができない義龍は、花が連れ去られるのをただ黙って見ているのみ。しかし、花の弟・健太に請われ、彼と共に花を探すため町へと向かう。
一方、大観は師の教えに背き、武器としての空手を憲兵隊に教え込んでいた。大観は、第七憲兵隊長の郷田(大和田伸也)から、隊を強化する目的でより多くの訓練場が必要となるため、道場破りを依頼される。闘いによって自分の強さを計りたいと常に考えていた大観は、次々と試合を仕掛け、町の道場を閉鎖に追い込んでいく。しかし実は、郷田は部下の大文字曾長(小宮孝泰)とともに大観を利用し、将来、略奪した訓練場で女たちを使った商売を企てていたのだ。
義龍と健太は町に着き、花をさらった男たちを見つけ賭博場へとたどり着く。そんな2人に気づき、次々と殴りかかってくるヤクザたち。しかし、ここでも義龍は一切手を出さず払いだけで凌ぐが、健太を人質として捕えられてしまう。抵抗せず殴られるがままの義龍の横から、一瞬の隙を見て逃げ出した健太は、芸者・千代(吉野公佳)に助けを求める。
その場に居合わせた大観は、簀巻きにされ身動きの取れない義龍のところへと向かい、銃をチラつかせるヤクザたちに臆することなく容赦ない拳と蹴りを浴びせる。期せずして大観に救われることとなった義龍は、花やほかの捕えられていた娘たちを逃すことに成功するが、翌日、郷田によって誘拐犯としての容疑をかけられ、指名手配の身の上となってしまう。
義龍を逮捕するためやってきた憲兵隊、そして大観と長英。娘たちを守ろうと寺に籠城する義龍と村人たち。そんな義龍に長英は、「銃を構える憲兵隊たちを前にしても先生の教えを守るつもりか」と問う。答えを出せずに迷う義龍に、ついに大観が1対1の勝負を申し出る。果たして、義龍は大観との闘いに応じるのか?
また真の強さ=黒帯を手にするのは、一体誰なのだろうか?
プロフィール
八木明人【義龍 役】
1977年沖縄県那覇市生まれ。国際明武舘剛柔流空手道連盟 舘長・錬士6段。
沖縄明武舘剛柔流空手道の始祖にして、沖縄県指定無形文化財であった八木明徳宗家の孫として誕生。
祖父 明徳、父 明達を師とし、3歳より空手を始め、その空手歴は27年になる。
今後も剛柔流空手の継承者として、空手道に生涯を全うする運命にある。また、沖縄をベースに活動している人気ロックバンド「RYUKYU FREE STYLE」のヴォーカルとしても活躍するという意外な一面も持つ。
※明武館剛柔流空手道
中国福建省の中国武術に端を発し、琉球で発達した那覇手。これを学んだ宮城長順(みやぎちょうじゅん/1888〜1953)が剛柔流空手を興し、継承したのが八木明徳(やぎめいとく)である。以降、八木家では明徳の息子
明達(めいたつ)、その息子の明人(あきひと)・明広(あきひろ)へと、原点の精神と技が変ることなく百年の時を受け継いでいる。 八木明徳が興した明武舘は本土の競技空手とは一線を画し、沖縄で武道空手の原型を守り続け、今や16ヵ国に約2万人の門下生をもつ国際明武舘剛柔流空手道連盟として世界中に広がっている。
中 達也【大観 役】
1964年生まれ。社団法人 日本空手協会 総本部師範 6段
沖縄から本土に初めて空手を伝えた船越義珍直系の松涛館空手道を代表する師範。
13歳より空手を始め、目黒高校空手道部、拓殖大学空手道部と進み、全日本大会を始め各大会で優秀な成績を収める。その後、日本空手協会に所属し空手の職人として様々な大会で活躍、“協会の貴公子”とも呼ばれる。
現在は社団法人 日本空手協会の総本部師範であり、自らの研鑽に励むと共に、世界各国、国内各地で指導。また目黒学院高校、拓殖大学の監督として後進の指導にあたっている。
※社団法人 日本空手協会(松涛館)
沖縄空手道中興の祖といわれ、沖縄尚武会会長であった船越義珍が、大正11年文部省主催の第1回体育博覧会で演武、公開したのをきっかけに生まれたのが松涛館空手道であり、
戦後間もない昭和23年5月、戦火で消滅した松涛館同門の門弟が結集し、船越を最高師範に迎え結成されたのが日本空手協会である。昭和32年、空手界唯一の社団法人を文部科学省より認可され、同年、空手界初の第1回全国空手道選手権大会を開催している。
現在、世界各国が社団法人 日本空手協会世界連盟に加盟し、国内では900の支部団体を有する、最大の空手道実技団体である。
鈴木ゆうじ【長英 役】
1970年生まれ。大学在学中から演劇を始め、1994年に1000人を超える応募者の中から合格者が2人という難関をくぐり抜け「北区つかこうへい劇団」の第1期生となった。在籍7年間で「銀ちゃんが逝く」の監督役、「熱海殺人事件〜ザ・ロンゲスト・スプリング」での主役などを務める。その後も「HAKANA」「つかこうへいダブルス・幕末純情伝」「ロミオとジュリエット」「夜叉ヶ池」などの舞台に出演する一方で、「北条時宗」「利家とまつ」などの時代劇から「危険な関係」「犯人に告ぐ」などの現代劇まで、幅広い役柄でテレビドラマにも出演。最近では、エバラ《すき焼きのタレ》やコロナのCM、映画『バルトの楽園』にも出演し、さらには海外ドラマ「ザ・ホワイトハウス」でのチャーリー役など声優としても活躍中。
身長185cmと恵まれた体を生かした殺陣・アクション・ダンス・乗馬などを得意とし、今作では空手初段の経歴を生かして、見事な動きを披露。
現在でも国際空手道連盟 極真会館 城東支部に所属し、空手の鍛錬をしている。
最新作は2008年公開予定、柴咲コウ主演の『少林少女』。
小宮孝秦【大文字太郎 役】
1956年生まれ。1980年、コント赤信号でTVデビュー。数々のバラエティ番組に出演の他、現在は舞台や映画、ドラマで俳優として活躍する。自らがプロデュースする舞台や一人芝居などでも精力的に活躍中。2004年には文化庁文化交流使として渡英。
映画:『いずれの森か青き海』『ゲロッパ!』/ドラマ:「功名が辻」/舞台:「接見」「星屑の町」「びっくり箱」
近野成美【畑田花 役】
1988年生まれ。写真集やDVDを発売する一方で、CM、ドラマ、映画と活躍の幅を広げている人気若手女優。昨年からは、出演作がほぼ毎月公開されているほど、積極的に映画に参加している。
映画:『東京フレンズ The Movie』『夜のピクニック』『エコエコアザラク R-page/B-page』『こわい童話 表の章』/ドラマ:「ファイト」「Pinkの遺伝子」
吉野公佳【千代 役】
1975年生まれ。1995年に『エコエコアザラク』で鮮烈なデビューをかざり、映画・ドラマ・舞台などで活躍。カンヌ国際映画祭の正式出品作品に選ばれた三池崇史監督の『極道恐怖劇場〜牛頭(GOZU)』では体当たりな演技で、世界中を沸かせた。
映画:『エコエコアザラク』『幻覚』『ファンタスティポ』『新・影の軍団 最終章』/ドラマ:「ヘルプ!」「クリスマスキス〜イヴに逢いましょう」/舞台:「デジャ・ヴュ01」
大和田伸也【郷田英久 役】
1947年生まれ。大学在学中に演劇を始め、劇団四季などを経てドラマ「藍より青く」で人気を得る。その後テレビ、映画、舞台などに多数出演。日本人として初めて出演した中国映画『炎の女・秋瑾』、国外での評価の高い『君よ憤怒の河を渡れ』など国際的にも活躍する。
映画:『踊る大捜査線 THE MOVIE』/ドラマ:「水戸黄門」「真珠夫人」「華麗なる一族」「花嫁とパパ」/舞台:「細雪」「春にして君を離れ」
白竜【谷原貴一 役】
1952年生まれ。1979年に「アリランの歌」でバンドデビュー。『その男、凶暴につき』で注目され、その後は俳優活動を中心にドラマや映画で活躍。1995年には7年ぶりとなるアルバムを発表し、音楽活動も継続中。
映画:『いつか誰かが殺される』『棒の悲しみ』『HANA-BI』/ドラマ:「走らんか!」「北条時宗」「特命係長 只野仁」
夏木陽介【柴原英賢 役】
1936年生まれ。1958年『密告者は誰か』で映画主演デビュー。以後、アクション、青春スターとして活躍。テレビドラマ「青春とは何だ」の教師役で不動の人気を得る。俳優として活躍する一方で、1985〜1993年にかけて「パリ・ダカール・ラリー」にドライバー及び監督を務めた経験もある。
映画:『ミスター・ロビンの口説き方』『The Passenger』/ドラマ:「アストロ球団」「スシ王子!」
【監督】長崎俊一
1956年生まれ。高校時代より8mmで自主映画を撮り始め、日本大学芸術学部映画学科在学中の1978年に撮った16mm作品『ユキがロックを棄てた夏』が「ぴあ」の自主制作映画展(現在のPFF)に入選し、そのスタイリッシュな演出と卓抜した人間描写で一躍注目を浴びる。その後、『ハッピーストリート裏』、『闇打つ心臓』などが映画評論家の絶賛を受け、1982年、『九月の冗談クラブバンド』で劇場用映画デビュー。1986年にはロバート・レッドフォード主宰のサンダンス・インスティテュードに日本人として初めて招かれる。その時の経験を基に、帰国後、サイコ・サスペンス『誘惑者』を発表、バンクーバー映画祭、シドニー映画祭などに招かれたほか、ニューヨークでは劇場公開された。時流に流されることなく、自分の撮りたい、心の壁を照射するような題材を追い求めつづけ、『ロックよ、静かに流れよ』、『ナースコール』、『死国』などの話題作から、「柔らかな頬」、「李歐」といったTVドラマに至るまで、常に完成度の高い評価を集めている。その他の代表作に『ロマンス』、『ドッグス』、『8月のクリスマス』、『闇打つ心臓 Heart,beating in the dark』などがある。
【脚本】飯田譲治
1959年生まれ。1989年に『バトルヒーター』(監督・脚本)で劇場用映画デビュー。1992〜1993年、豊川悦司と武田真治をブレイクさせた「NIGHT HEAD」で原作、脚本(21話中15話)、監督(4話)を担当し、深夜連続ドラマとしては異例の大ヒットとなった。そのヒットを受けて製作された劇場版の原作・脚本・監督を務めた。その後は、映画・ドラマ以外にもプロモーションビデオの演出、小説や漫画原作、舞台やオリジナルビデオ作品のプロデュースなど、多岐に渡って活動している。
主な脚本作品には「沙粧妙子 最後の事件」、「リング」、「Gift -ギフト-」。監督作品には、「幻想ミッドナイト」(監督・脚本)、『らせん』(監督・脚本)、『アナザヘヴン』(監督・原作・脚本)、『ドラゴンヘッド』(監督・脚本)。
著作には「Gift」「アナザヘヴン」「アナン、」「盗作」(梓河人との共著)、「Sci-Fi-HARRY」(コミック原作)などがある。
【エグゼクティブプロデューサー】佐倉寛二郎
1956年生まれ。1988年、長崎俊一監督の『ロックよ、静かに流れよ』でプロデューサーとしてデビュー。その後、『ラヂオの時間』『みんなのいえ』『THE 有頂天ホテル』などの三谷幸喜監督作品やアソシエイト・プロデューサーを担当した『ホワイトアウト』、エグゼクティブプロデューサーを務めた『亡国のイージス』などの骨太のドラマ作品など、数多くのヒット作品を手掛ける。最新作は2008年正月公開の『ミッドナイトイーグル』。
【音楽】佐藤直紀
1970年生まれ。ドラマ「GOOD LUCK!!」「オレンジデイズ」「WATER BOYS」「海猿」、
映画『ローレライ』『逆境ナイン』『ALWAYS 三丁目の夕日』『シムソンズ』など、物語を支える音楽を担当。ドラマや映画以外にもアニメやCMの音楽も手掛け、『ALWAYS 三丁目の夕日』にて日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した、今最も注目すべきサウンド・クリエイター。
【企画・武術監督】西冬彦
1965年生まれ。映画配給会社に勤務するも、幼少の頃から培ったアクション映画への知識や想いから、『少林サッカー』のチャウ・シンチーや『マッハ!』のトニー・ジャーなどのアクション俳優との交流を深め、2005年に独立。20年を超える空手歴から本作の企画・武術監督を担当する一方で、劇中では大観と闘う空手家・東郷孝臣を見事に演じている。最新作は、柴咲コウ主演の『少林少女』(プロデューサー)。
【撮影】金子正人
1964年生まれ。撮影監督の柳島克己、山本英夫のアシスタントとして北野武、三池崇史監督などの作品を多数経験する。その他にスパイク・リーやティム・バートンの撮影監督など外国の撮影監督のアシスタントも経験。『魔界転生』『座頭市』などのセカンドユニットや、撮影監督として『46億年の恋』『太陽の傷』などがある。
【編集】阿部亙英
1960年生まれ。編集助手を経て、1987年に独立。手がけた主な作品に『KAMIKAZE TAXI』『ラヂオの時間』『アナザへヴン』『AIKI』『美しい夏キリシマ』『メゾン・ド・ヒミコ』などがある。『写楽』『バトル・ロワイアル』で日本アカデミー賞最優秀編集賞を2度受賞していて、長崎俊一監督とは『8月のクリスマス』以来4作目となる。
「空手の歴史」
沖縄県空手博物館館長 体育学 空手学博士 外間哲弘
- 空手とは何ぞや
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「南海の神技是空拳」いわゆる古来より手(ティー)と呼ばれ琉球で花を咲かせた護身の術である。
ティーとは人間が自己防衛をする本能の事で、その防御法は生存するのに必要な手段である。敵の攻撃から自己を無意識に防御する本能がティーの祖型で手舞(ティーモーイ)と呼び、その技を高め先達は空手へと進化させたのである。
- 空手の精神と道
- 古の達人いわく「身に身鉄を帯びず平時に於いては、心胆を練り寿康を計り急に際しては身を護る術也と説く、即ち多くの場合、肉弾を以って敵を倒す事を原則とす、然りといえども機に臨み変に応じて武器を併用すること無に非ず」。それゆえ『人に打たれず人打たず、事なきをもととするなり』の格言や、更に『空手に先手なし』の精神文化、君子の武術を人々は「空手」と呼び、ついには精神性の高さや哲学に裏うちされ「空手道」と呼ばれた。
- 歴史の概念
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空手は、唐の国、中国から伝来された武術である。
更に言うならばメソポタミア地方、トルコ地方にあった拳法の技がシルクロードを経てインド・中国へ、そして琉球に渡ったルートの他、マリンロードすなわちインドネシアや南方方面を経由して琉球に渡った説がある。
中国経由のルートを説くと、少林寺宝典では琉球空手の大祖といわれる達磨(ダルマ)が、号「円覚」寺称「達磨大師」と称し、インドのバラモンにおよそ1,500年前に生まれ、シルクロードを経て華南省嵩山(スザン)に至り「少林寺」を建造し不動尊道場を建て、胆身を鍛錬して、健康法と唐手の予備運動の原典とされる「易筋経」(えっきんきょう)すなわち空手に必要な筋肉とすじを鍛える法と、心の垢を洗い「氣」を鍛える法「洗髄経」(せんずいきょう)の二経を著したと伝えられる。
そして泰山の強者「石敢當」(イシガントウ)と共に組合術(くみて)を交わしながら武術を高め、高弟の慧可とワンシュウに伝授したのが拳法の歴史概念である。空手伝承説は他説もあるが、その拳技が琉球に伝承され、ティー手に多大なる影響を与え現在の空手へと成長した。
- 沖縄から日本全国へ空手が普及
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1895年、この年、大日本武徳會が京都に設立、武道家優遇策として称号「範士」「教士」「錬士」が設定され、柔道・剣道が本土の中学・師範学校に正課として採用、いよいよ武術が大衆へ向け普及されるきざしが見えてきた。
一方、沖縄においては、空手は一子相伝の伝承形態が色濃く、秘密裡に指導する事が一般的であったが、中国から帰った那覇手の東恩納寛量(ひがおんなかんりょう)により、1889年・沖縄で初めて唐手術道場を那覇にて開設。1901年、首里手の糸洲安恒(いとすあんこう)により首里尋常小学校にて空手指導が始まり、連鎖して県内の学校へ公開された。
日本本土と交流が盛んになるにつれ南海の神技是空拳“唐手”が文部省にも届くようになり、1922年本格的招聘を受けることとなった。文部省主催第一回体育展覧會が東京で開催され、富名腰(船越)義珍、儀間真謹等が空手を紹介。その年の11月には「琉球拳法唐手」が本土で船越により著述。
柔道の嘉納治五郎、剣柔道等々の協力もあり、慶応大学において1924年頃から唐手研究會で船越は指導することになる。その後、東京大学・拓殖大学等々に普及し、1936年には、大日本学生空手道連盟が発足された。関東方面へ普及する空手の伝承の一端である。
一方関西においては、1925年頃、首里手の本部朝基(もとぶちょうき)が外人のプロボクサーをリングの上で、空手の技でノックアウトした、との記事が雑誌に掲載され話題となった。
1927年、宮城長順(みやぎちょうじゅん/剛柔流)が立命館大学、京都大学等で指導。
1926年には中国から帰った上地(うえち)流の創始者、上地完文(うえちかんぶん)により和歌山にて道場が開設されるようになった。
柔道・剣道のように、あまり知られていない唐手(空手)が当時のエリート層である大学において指導され、また柔道・剣道の指導者の注目の的にもなり、1933年に大日本武徳會が日本の武術として唐手を承認。1905年頃になり唐手が空手へと改称された。
1925年頃においても沖縄では習慣として流派はなく手(ティー)を大きく分類して首里手、那覇手、泊手と大別していたが、本土に普及されるにつれて、1925年に那覇手が剛柔流、1933年に首里手が小林流へ、更に1939年には松涛館流、1940年に半硬軟流(パンガイヌンリュウ)から上地流へと呼称された。
その間に空手の普及は益々大きくなり、糸東流、千唐流、和道流、極真會などが全国へ広がり、現在の状況となっている。
以上のように日本は古来より武道の精神風土とのかかわりで、その文化や作法も琉球とは異なる歴史を歩んできたが、沖縄空手道は日本武道へ大きく影響を与えて『日本の空手』へと発展し、まず1950年代からアメリカへ普及し、その後、今日までの半世紀に瞬く間に全世界へと広まっていったのである。
“空手道で磨き空手の精神をきたえる
是修行なり是道なり”
Photo Gallery(フォト ギャラリー)

大観(中先生)と彼の師、柴原英賢

大観が東郷の上段を襲う

大観と芸者さん

大観の順突が憲兵(大隈指導員)のあごに炸裂!

明鏡の演武

二十四歩の演武
映画『黒帯 KURO−OBI』誕生まで
企画・武術監督 西冬彦
『黒帯 KURO−OBI』誕生のきっかけ
2002年、『少林サッカー』で来日したチャウ・シンチーに「日本には空手という凄い武道があるのに、どうして空手の映画は無いんだ?本当に残念だ。」と言われた。そこで自分の得意なフルコンタクト空手のコンビネーションをやってみせると、彼は言った。「それ、キックボクシングだよね?僕が見たいのは空手だよ」一瞬戸惑ったが、うろ覚えの型をやってみせると、大喜びで「おおっ!それが空手だ!」と声を上げたのだ。
2003年、『マッハ!』のトニー・ジャーが、はーっ!と息を吐きながら、手刀を作って「僕は日本の空手の映画が見たい!」と言った。
なるほど!日本では格闘技としての空手が盛んだが、世界の人々がイメージするKARATEは違う。彼らが見たいのは、東洋の武道としての空手なのだ。それが【型】【息吹(呼吸)】【試し割り】のイメージで全世界に広がり、今では世界中の空手人口は五千万人とも七千万人とも言われる。
だが、空手の本場である日本の「本物の空手映画」を観たことが無いという。ならば、空手&映画オタクの自分が作ってやろうじゃないか。2004年春、フルコンタクト系空手の現役選手たちを集めて、「伝統的空手の動きで、一撃必殺で相手を倒す映像を作る!」と宣言した。そして半年かかって、二十分の短編『黒帯』が完成した。
手ごたえはあったが、それに本当に価値があるかどうかを判断してもらうため、チャウ・シンチーとトニー・ジャーに見てもらうことにした。今、世界のアクション映画界の最先端にいる二人が驚けば、きっと世界が驚くだろう。彼らが驚かなければ、止めよう。そう決めて、DVDを送った。
すぐに彼らから連絡があった「僕らはこういう映画が見たかった!早く長編を見せてくれ!」と興奮していたのだ。なるほど、やはり間違っていないのだ、ならばやるしかない。日本から本当の武道空手映画を世界に出す。いつか誰かがやらねばならないとするならば、それが自分でありたい。そして勤めていた映画会社を退社し、独立。『黒帯
KURO‐OBI』という空手映画を作るために動き始めた。
キャスティング
キャスティングは難航した。「伝統的な空手の動き」での「真剣勝負」、それら全てが「本物」でなければならない。
この映画を実現させるには、二つの選択肢しかなかった。つまり【本物の俳優に空手を修得させる】もしくは【本物の空手家に演技の練習をさせる】。しかし、俳優がほんの数ヶ月空手を練習したレベルで、三十年近く空手を見続けてきた自分を納得させられるのか?だからと言って自分が驚くような本物の空手家をどうやって探せば良いのか?その悩みの中、沖縄へ渡った。日本空手の源流は琉球空手、その本場に触れれば何かが解るかもしれない。
友人が紹介してくれた八木明達先生の道場を訪ね、そこで指導していたのが、宮城長順から続く剛柔流空手直系の八木明人君だった。基本、移動稽古、そして型を見せてもらう。心がざわついた。一生空手を続けて継承して行く運命に生まれた男の型。「こいつだ!主役はこいつしかいない」そう思った。
脚本では主演のうち、二人が激闘を繰り広げる。一人を沖縄空手の八木君とした場合、もう一人を俳優でということは不可能だ。もう一人は誰だ?僕の頭の中には一人しか浮かばなかった。日本空手協会の中達也先生。
実はその半年前、僕は「本物の武術空手を体現している人」を探していた。空手を見続けてきた中で、格闘技的強さや上手さの究極まで行った方々は多くいた。しかし、古来の武道空手独特の立ち方、歩き方、構え、技を体現する人には出会えなかった。
困り果てて最終的に日本空手協会の本部を訪ね、たまたま夜の部を見学。先生が入ってきた。ただ、すーっと歩いてきて、正座をした。それを見た瞬間に鳥肌が立った。この人はまず立ち方が違う、歩き方が違う。そしてその技は、究極の凄みと美しさが同居している。まさに世界中の人々がイメージする武道家とはこういう人なのだろう。その先生が中達也さんだった。
八木明人と中達也、この二人は考えられる限りの最高の二人だ。これが日本の空手だと世界中に胸を張って言える二人だ。
この二人でダメであれば、全員俳優で出来る限りのことをすれば良い。そう決心して八木君、中さんに映画出演依頼とオーディション参加をお願いした。俳優で行くか、空手家で行くか、全スタッフの悩みを解消するために、俳優も空手家もアクション俳優も全部集めて、オーディションをすることにしたのだ。全員が納得するためには、その方法しか無かった。
そして、八木君と中さんを見た全員の心は決まっていた。
監督:長崎俊一 脚本:飯田譲治
八木明人・中達也・鈴木ゆうじ/小宮孝泰・小須田康人・阿南健治・須藤雅宏
諏訪太朗・深澤嵐・近野成美・吉野公佳/大和田伸也・白竜/夏木陽介
製作:酒匂暢彦/エグゼクティブプロデューサー:佐倉寛二郎/音楽:佐藤直紀/プロデューサー:小川勝広
キャスティングプロデューサー:空閑由美子/企画・武術監督:西冬彦/撮影:金子正人
照明:舘野秀樹/録音:弦巻裕/美術:尾関龍生、平井淳郎/編集:阿部亙英
助監督:吉村達矢/製作担当:湊谷恭史/スクリプター:柳沼由加里
製作プロダクション:クロスメディア
提供:黒帯パートナーズ(クロックワークス、クロスメディア、バンダイビジュアル、ウェッジホールディングス、
カフェグルーヴ、原宿サン・アド、ヘキサゴン・ピクチャーズ、スカパー・ウェルシンク)
配給:クロックワークス
2006年/日本/ヴィスタサイズ/ドルビーSR/95分
(C)2007 KURO-OBI PARTNERS
原作本:「黒帯」(飯田譲治、梓河人 著/講談社刊)
オリジナルサウンドトラック:SMEレコーズ
http://kuro-obi.cinemacafe.net/